12/11、「UX まとめ 2015」に参加して、自分にとってのUXって何かを考えてみた

ソシオメディアさんが珍しく気軽なイベントをされるということなので参加してきました。

http://uxmatome2015.peatix.com/

www.slideshare.net

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上野さんのまとめを伺っていて、ちょうど「いろんな意味合いでUXって使われるけど、自分にとってのUXってなんだろう」と考えていたので言葉にしてみます。

そもそも私がUXという言葉に出会ったのは「利用者が戸惑うことなく”普通に”使えるサービスを提供するために何をしたらいいのか」を探っていっている時なのでした。

そしてUXとつく書籍やセミナーを辿って行くとHCDにたどり着きました。私が探っていることを解決するためにはどうやらHCDが良さそうだぞ、と。そしてこの分野を学んでいこうと決めたのだと思います。

 

ってことは、私にとってのUXは「利用者が戸惑うことなく”普通に”使えるサービスを提供するために考えることのひとつ」なのだなぁと。

利用者の”普通”は何なのかを知るために状況を知って観察をし、日常事としてサービスや機能を受け取ってもらえるようにする。そのために私はHCDを学んでいます。

そう考えていくと、私にとってのUXはHCDを表していることがほとんどでした。UXを考える時の根本としてHCDが根付いています。道中、手法や言葉に翻弄されたいた(る?)感はものすごく否めないけれども。。。

 

「UX」はその言葉が指す範囲がとても広いということもあって、とても便利にいろんな意味合いで使われていると思います。

「UX」といっている人が、どんな意味合いでその言葉を使っているのか、伝えている人が「当然この一言で伝わっているだろう」と思っている真意を探るのは、私にとってとても疲れることです。好き嫌いの話で申し訳ないですが、そういう議論、私はすきじゃないんです。

言葉の定義を合わせることから必要になるのならば、その言葉は使わないほうがいいんじゃないか。どっちかっていうと、そう思うタイプの人間なのです。

なので今となっては「UX」を使う事自体ほとんどありません。

つい「UX」と口に出そうになる時は、それが何を表しているのか考えるようになりました。

「私たちがサービスを提供しようとしている人たちがどんな人達なのかわからなければ、何に喜んでもらえるかもわからないでしょう?」

こんな風に、噛み砕いてその場に合った言葉を使うように心がけています。もちろん、HCDの一言で通じる人には、こんなまどろっこしい言葉は使いませんが。

 

話はそれますが、最近良く思うのは「利用者が戸惑うことなく”普通に”使えるサービスを提供する」を目的とすると、考えなければならないことがほんとにたくさんあるなーということです。

消費者が感じている「不」を見つけ出し、それを解決する仕組みをつくりだす考え方のひとつがHCDだと思っています。この部分は私が学んでいる分野です。

でも、その仕組みを最初からどん!と利用者に伝えられることは難しいと思っていて、そうすると「そのサービスの世界観を伝えられる」機能なりが実装できるまで、それを感じてもらえるまで、事業を継続できるような道筋を考えばければいけません。

こういった事業計画的な面は私が今まであまり真剣に考えてこなかった部分ですが、「利用者が戸惑うことなく”普通に”使えるサービスを提供する」ことを考えるとどうしても避けては通れない部分です。

正直にいうと、私はそういった面を考えるのが得意ではないです。

だけど「こういった面も考えておくことも重要」を知っておくのは、サービスを失敗(というのかな?)させないために、途中で終わらせないために、「あの人、利用者のことしか考えてない」と思われないために、大切なことなんじゃないかなぁと思います。

 

まぁ、得意じゃないことは得意な人に任せるとして、私がこれからやってかないとなーってことは、そういう私が不得意なことを得意としている人に、私がやっていることを「こういった面も考えておくことも重要」と思ってもらって、お互いの不得意を補えるような信頼体制を構築していくことなのかなーと思っています。

 

うまくやってる人、いないかなー。