9/22に情報デザインフォーラムに参加してきました

ワークショップとか勉強会とか行くと、なんだかハッとして「そうだったのか!」「そういう考え方もあるのかも」と思うことって、それなりにある。

だけどそれを「気づきを得た」っていう一言だけで終わらせてしまうと、どうしてハッとしたのか?今までとは何が違ったのか?それを考えることなく流してしまうことになるんじゃなかろうか、それでは効果半減ないんじゃないかと思って、どうしてハッとしたのかを考えるようにしてます、最近。数年前のメモとかレポートとか見ると、すごい気軽に「気づきをえた」とかとか書いてあってとてもくすぐったい。

ということで、ここ数年毎年参加している情報デザインフォーラムに参加してきました。

今年のテーマは「キヅキとデザイン」

情報デザインフォーラム: 第17回情報デザインフォーラム「キヅキとデザイン」

おなじ日程で開催していた Smile Experience オープンラボ には伺えなくて残念。

 プログラム

思ったこと

「文脈を捉える事によって生まれる価値」

最初の柳本さんのお話は圧巻されっぱなしでした。すごすぎて何か自分でも取り組めることはあるかなとか、そういう気持ちがどっかいってたほどすごかった(笑)。3歳の時にこういうこと始めたとか、なんで覚えているのかと、、、、わたし、高校の担任すら憶えてないのに、、、、(´(ェ)`)

その中で、かろうじてメモを取れた印象に特に残ってる部分をメモ。

ちなみに印象に残った言葉は「重箱の隅をつつくのではなく、重箱の外に出てみる」でした。

個人である自分と組織の中の自分

個人である自分(消費者だったりサービス利用者だったりマーケットの一部の時の自分って意味だったと思う)と、組織の一員としてサービスを提供・開発してる時の自分は、同じ人物なのに考え方が変わる。

たしかにそうだなーと思いました。なんてレスポンスを返すサービスなんだ!と不快に思ったことを自分の担当してるサービスでもやってしまっていたり、私の場合は組織の一員の自分は鈍くなっているというか提供側のスイッチが入ってしまうというか。

利用者によりそうとか理解することを意識するときに、自分が利用者な時のことを忘れない、スイッチを切り替えないようにするっていうのを意識すると良いのかもなーと思ってました。(だけどやり過ぎちゃうと夢中になってしまうから気をつけないとな、、、)

別のものを見てもらおうとしても見てくれない

何かに気づいてもらおうだったり、違う考え方を触れてもらうために、今、見ているものとは違う別のものを見てもらおうとしてもみてくれないよ、と。

見ているものは変えずに、見ている対象の違う面も見えるように回したり、置き方を変えることで、新しいキヅキを得られる。

たとえば、目の前に湯のみがあります。その湯のみを回転させると、取っ手がついていて実はマグだったんだよ、というようなかんじ。

カテゴリーについて

情報が増えるとカテゴリーが生まれる。さらに情報が増えるとカテゴリーの掛けあわせをする。

カテゴリーがあると、本当は関係があるものなのにつながらなかったりする。情報が遮断されて機能しなくなってくると。

インターネットが出てきたことで、カテゴリーいらないんじゃないかと。「ライフスタイル」や「文脈」っていう新しいカテゴライズ。モノをハブにしながら生活を連想させたりするような。

成熟社会からポスト成熟社会へ

成熟社会では誰もがそこそこ満足してる状態。それから個人の満足の集合体が社会の満足となる社会へ。それがポスト成熟社会。

うーん、ここはメモが少ない。。。。

 

とかにも、ネット(バーチャル)とリアルの話とか出ていたと思うんだけど、メモにそれほど残っていなくて悲しい。

 

「キヅキとコミュニケーションデザイン・ワークショップ」

ここからは近くの方と4人グループになってのワークショップ。オンラインでのグラフィックレコーディングの試みをされていました。

テーマ

「未来のデザイナー像を考える」

デザインの対象が物の色や形態、アプリに留まらずに、サービス、組織、人間関係などにも広がりつつある現在、これから未来のデザイナーはどうあるべきでしょうか。

流れ
  1. 最初に自分たちのグループで、従来のデザイナーと未来のデザイナーについて話す。それを紙に可視化。
  2. 別のグループと交換。
  3. 別のグループの議論を参考にしつつ、さらに未来のデザイナーについての意見をかわす。

 面白かったのが、自分の会社の中での役割を話している時に(いろいろ悩みを相談されるんだけど、最初に言われることは大抵みんな「PJがうまく進まない」。だけど、追々話を聞いていくと組織の問題だったり、ビジネスの問題だったり、PJが原因じゃないことが結構あるので、いろんな話を聞いた上で「こうしてみれば?」みたいなアドバイスをしている、と言ったような内容)、「それってまるで占い師みたいですね」と言われた事。

その役割がデザイナーになるのかわからないけど、そういえばなんかUXとかHCDやってるひとってそういう印象にとられがちなのかなーと思いました。

 

余談ですが、この時点でスマフォの充電が切れていて(だから写真とれなかった)、はやくあたらしいiPhone欲しいって心の底から思ってました。

 

「キヅキとサービスデザイン・ワークショップ」

分析の際に浅いキヅキにとどまってしまうというのはすごく良くある事だなーと実践してても思います(実際にやっていてもそこらへんよくわからない)。

そこでキヅキを「意外な結びつきの大胆な仮説」として、それを実際にやってみよう!っていうかんじの、グループの中で話をして分析していくワークショップでした。

 

テーマと流れは安藤先生のスライドをどうぞ。

www.slideshare.net

 

気づきのためにはインプットこそ重要であるということで、分析対象のデータが表面的なモノにならないように、本音を聞き出すための工夫として、今回ファシリテーターの方があるミッションをまかされていました。

それは

  • パンドラの箱をあけるツッコミ
  • どうしてその話をしたか盛ったかを問うツッコミ

の2つ。

パンドラの箱をあける方は、「本当は〜なんじゃないの?」とか「それやる理由ってあるの?」とかとかの多少意地悪なツッコミになっちゃうけど、そこはなんとかキャラでカバーしていくだろうか。。。。(汗)

問うツッコミの方は、普段やってなかったなと思ったなぁと感じたので、これから意識的に取り入れていきたいなと。
数あるエピソードの中からどうしてその話をしたのか、話題のセレクト自体からもその人の考えを知るというのは、表面的なデータにとどまらないためにこれからも意識し続けていけそうだなぁと思いました。

 

で、2種類の話をしたのち、意外な結びつきを探す事をしたのですが、気づきという言葉でもなく、意外な結びつきだけではなく、意外な結びつきの大胆な仮説となると一度に出すのは難しそうでした。

なので、意外な気づき→それってこうなんじゃない?の仮説と段階踏まないと私にはむつかしいなぁと。

 


 

キヅキを「意外な結びつきの大胆な仮説」としたことで「気づきとはなんだ」なところから考えるきっかけになりました。量と質を高めていくためには何に意識していけばいいんだろうかと。

心理学用語では

気づきとは、固定概念や先入観に捕らわれていた為に、直接 感じることができなかった、「いま・ここ」で自分が感じている 心や身体の状態を、ありのままに知覚すること。

ということだけれども、それをもっと違う言葉で置き換えていってみることで、いろんな種類の気づきを見つけれるかもしれないなと思いました。